血鬼王ヴラド・ツェペシュ | ||||
---|---|---|---|---|
レアリティ | 属性 | |||
SSR | 幻 | |||
MaxLv | ||||
100 | ||||
MinHP | MaxHP | |||
125 | 750 | |||
Min攻撃力 | Max攻撃力 | |||
280 | 1680 | |||
入手方法 | ||||
イベント 幽かなる城郭と悪魔公 | ||||
売却価格 | ||||
3000ジェム 幻獣オーブ:150 | ||||
召喚攻撃 | 使用間隔 | 効果時間 | 召喚効果 | |
カズィクル・ベルメ | 10ターン | 3ターン | 敵全体に幻属性ダメージ(特大)/ 味方全体にエナジードレインを付与 | |
召喚時セリフ | うふふ…串刺し公と呼ばれたその所以、教えてあげる! | |||
幻獣効果 | ||||
テーケル・ベイ | ||||
☆☆☆☆ | 全属性の攻撃力が10%UP/アイテムドロップ率UP | |||
★☆☆☆ | 全属性の攻撃力が15%UP/アイテムドロップ率UP | |||
★★☆☆ | 全属性の攻撃力が20%UP/アイテムドロップ率UP | |||
★★★☆ | 全属性の攻撃力が25%UP/アイテムドロップ率UP | |||
★★★★ | 全属性の攻撃力が30%UP/アイテムドロップ率UP | |||
フレーバーテキスト | ||||
開く
ブラウザ版
アプリ版
リリム・アワリティアに次いで2体目の幻属性幻獣。
幻獣効果に貴重なアイテムドロップ率上昇効果を持つ。
彼女以前のアイテムドロップ率アップ幻獣はいずれもガチャ産のため、
イベント参加者であればという条件は付くものの、多くのプレイヤーが入手できたと思われる。
現在ではエピッククエストに常設されており、入手&限界突破が一層楽になっている。
召喚については、幻属性は全属性に対し弱点攻撃が可能なので、召喚攻撃も期待できる・・・と思わせておいて、案外ダメージは出ない。残念。
というかこのゲームの召喚攻撃のダメージが低い。
3T持続のエナジードレイン付与が特徴だが、吸収量は1発につき100。アセンション等の回復上限上昇効果は有効。
連撃すれば連撃分の回復もしてくれるが、5人分の吸収エフェクトが冗長で
効果の割には攻撃時のテンポ阻害が気になるところ。
幻属性らしく幻獣効果は全属性対応の属性攻撃力強化。
幻リリムやディアボロスはいわゆる「キャラ攻アップ」タイプなので、実ははじめての効果でもある。
オーブ交換所に出揃っている各属性45%幻獣と比べると、効果量で劣るのは致し方ないところだが
そういったものを用意できるまでの間、全属性で使い回せるのはありがたいといえるか。
もうひとつのドロップ率アップ効果についても、先輩であるアンズー、スレイプニルに比べると
アンズーに比べ属性攻撃力が多少なりとも上がる点、スレイプニルに比べ運用属性を問わない点で
かゆい所に手が届く便利さを備えている。
ついでに雷幻獣、風幻獣の置く場所を邪魔せず借りられる・貸し出せるのも利点。
ただしアンズー、スレイプニルとも最後まで限界突破した場合は「アイテムドロップ率UP」に+が付くため、そこで相互互換になっている。
実在した人物(と、モデルにした小説)のキャラだけあって、元来は英霊(本人談)だったらしいが、
ラグナロクを契機に幻獣になったという極めて珍しい経歴の持ち主。
マネスとはディアボロス&アモンと同じような関係で、互いへの信頼も非常に篤い。
その親密さは、マネスの方でマネスと同時にエピソード出演するほど。
ヴラド・ツェペシュ。正式な名前はヴラド三世。
通称串刺し公とも呼ばれる15世紀のワラキア公国の君主。
ブラム・ストーカーの小説『吸血鬼ドラキュラ』のモデルとして有名であるが、同時に祖国ルーマニアをオスマントルコの侵略から守った英雄としても評価されている。
ちなみにドラキュラとは竜の子、すなわち小竜公という意味であり、これは彼の父であるヴラド2世がドラクル(竜公、悪魔公)という異名をもっていたことからその息子という意味で名乗っていたらしい。
その異名通り処刑の際には串刺し刑を好んで用い、オスマントルコだけではなく自国の領民、
そして貴族の処刑にまで串刺し刑を用いた(この時代串刺し刑自体は珍しいものではなかったがその対象は重罪を犯した農民のみであり、貴族に行われるのは異例であった)。
特に最大規模の串刺し刑は1462年のトルコ侵略の防衛線時の串刺し刑であり、約2万人ものトルコ兵を串刺し刑にし、戦場へとさらし者にした。
全長約2キロ、幅1キロにも及ぶ串刺しの野原の異様さに、さしもの勇猛なトルコ兵たちの戦意も大幅にそがれ、
『征服者』と謳われたオスマントルコの君主、メフメト2世も「私はどんな人間も恐ろしくないが、悪魔は別だ』と言い残して撤退したという。
そんな彼の最後は、オスマントルコとの戦争で戦死したとも、厳罰主義に反発した配下の貴族に暗殺されたとも伝えられている。
最新の15件を表示しています。 コメントページを参照